あなたの記す福音書のための草稿 6
もう完璧でない人生。
できることは何でもする。
転職について尊敬する父親にも相談し、文章の添削をしてもらった。返ってきた乱雑な文章をみて、もしかしてこの人仕事ができないんじゃないか、ということに生まれて初めて思い至った。
その頃に、母親から父親のDVで困っていると相談があり、父親を地元から呼び寄せて、泊まりがけで話し合うことにした。
彼の様子は、一目みた時からおかしい。
法理でも、論理でも、すじが通ったことを言っても。法理的な矛盾を指摘しても。
もう、ただ聴かないんだからどうしようもない。
人目をはばからず大声を出し、
天草四郎記念館に行った時に、何かが変わったことは感じた、それは分かってるんだ。というようなことを口走る。
こちらが行った指摘は、記憶がジャンプして消えてしまう。
学歴コンプレックス、そして自ら逃げた受験を親のせいにしている彼の問題点を指摘して。
自分に言えることは言った。
また、目に浮かんでくる、天草四郎と自分を混同している百姓や、蛇の存在も、伝えた。
それで素直に聴くなら救うが、それでも聴く耳を持たないなら救いようが無い。
今まさに人生の次の局面に踏み出そうとする自分が、この問題に深入りすると、人生自体を傾けられる。聴く耳を持つなら救うが、持たないならば直接交渉して救うことは見切るしかない。そう判断した。
これが尊敬してきた父親との、別れとなった。
あなたの記す福音書のための草稿 5
もうすでに挫折した身。
外側の価値観を捨てて、
自分が本当にやりたいことに向き合おう。
海外への進学や、色々な可能性を検討して、
自分の人生を生きるには、今転職をするしかない。
この頃、変わらずに誘いを時折かけてくれる子と連絡をとるようになった。
自分の寂しさを埋めるように、そして苦しみの中で道を掴もうとする自分に、何かを教えてくれるのではないかというような、気持ちもあった。
お互いに、自分たちの仕事のことを語り合った。僕からの相談には答えをくれるでもなかったが、親身に耳を傾けてくれた。
僕は一丁前に意見をすることもあった。
数年来ほとんど交渉が無かったのに、ひょんなことから、交流が始まった。
彼女は職場のことや、自分の守護霊と喧嘩中で、憔悴していた。
頻繁に電話をするようになって。電話を終えた後に社員寮の大浴場でシャワーを浴びていると。「あの子に手を出すな!」という明確な声が聴こえた。
これほど明確な霊聴は初めてだった。
早速連絡すると、彼女が日々感じている守護霊と性格も姿も一致していた。僕にも姿が見えるようになって鬼子母神?インドの尼僧の姿を感じるようになった。
この日から、この尼さんの言葉を僕が聴いて、3人で電話をするような場面が増えていった。
あなたの記す福音書のための草稿 4
大学には、気の合う仲間がいた。
勉強ができても人間性が良くないんだという呪いを振り切るように、
馬鹿なことをして、それでも、肯定される自分を探した。
団体の活動に招待してくれた女の子がいた。
少し地味な人たちの中で、話を分かってくれそうな子だった。
東京に来れば何とかなると思っていたけど。
来ただけではどうにもならない。
就職でも、大学と同じように、また、とりあえず大企業に就職してしまった。
若くから海外に出してもらえるところに希望通り配属されたけれど。
大企業で、海外で、とラフな解像度でしか自分と向き合っていないから。
仕事のつまらなさに辟易した。
時を同じくして、
心底惚れた女性にフラれてしまった。
キャリアチェンジの難しい日本で、新卒で好きな仕事についていない。
自分にその時できる精一杯をして惚れた女性にフラれてしまった。
僕は、何のせいにも出来ず、100%自分が負けたんだと思った。
その時に、一冊の本を読んだ。
その本は、心が折れてたまるか、ということが書いてあった。その本にあらためて救われた気がした。
もう、日本でトップクラスの可能性を持っていた自分はもういない。目にみえる肩書きも、パートナーも、無い。
それでも、たとえ、ゴミ山の中に眠ることになっても神さまは自分を愛してくれているんだと言うことを感じられた。
挫折を認めて、条件つきでない、愛があることを感じた。
その頃から、本格的に宗教の勉強を行うようになった。この頃以来、教学をしなかった日は、ほぼはないと言えるかもしれない。
ある休日、寮の近くの街を歩きながら、テープをきいていると、イエスキリストの光、というフレーズで、何故か涙が流れた。
言葉にできない、何か、を明確に体験された初めての体験だった。
はじめに言葉ありき、という言葉や、
不増不減のエネルギーの無限の供給といった言葉に、共感を感じるようになった。
諸法無我を感じられ、食べること、肉を食べることに違和感を感じるようになった。
尊敬していた父親に相談すると、
開くなよ と言われ。
それ以来しばらく、鋭敏な感覚を感じることはなくなってしまった。
あなたの記す福音書のための草稿 3
自分らしい振る舞いが、周りに愛されるような学生時代。
学級委員で、転校生には一番に声をかけるような子だった。
新しい遊びを考案して皆で遊んだり、イベントを企画したりしていた。
クラスメイトの全員の参加する水鉄砲大会を主催したこともある。
歳の離れた妹が生まれた。命名がまとまらなかったので、僕が3歳の頃から心に残っていた名前。娘や恋人につけようと思っていたとっておきの名前をつけた。
進学は国公立以外はダメだと言われていたけれど。
大学の学費のホームページをプリントアウトして、学費がそれほど変わらないことをもって、交渉した。上京するには、東京大学か、早稲田大学、慶應大学のどれかであれば許してもらえることになった。
父親は、自分が学歴がなくてもどれだけ仕事ができる人間なのかということを有言無言で主張し続ける人だった。前の職場や芸能人にいたるまでこき下ろし。自分が今こんな場所にいるのはひとえに学歴のせいであると言いたいようだった。
母親は、専業主婦であるのに、不思議なほどに家事が下手だった。夜中に散乱した家で放心状態の姿を覚えいている。しかし、経済的にも苦しい家庭で自分が心美しく、(美人で)心優しい人間であるということを固く確信していた。
それでも、家庭を一つしか知らない子どもにとっては、
とてつもない実力があって仕事ができる父親と、心優しい母親だった。
仕事のできる父親と、心美しい母親、そんな家庭にいるはずなのに、違和感があった。
父親は、小さい頃から勉強ができる僕に対しては、繰り返し、勉強ができても実力がなければダメだ。と、勉強ができてもお前には実力がないと暗に言っていた。
母親は、お前は、勉強ができても、人間性が良くないんだということを、叱る機会をを見つけては言っていた。
言葉、振る舞いには、祝福と、呪いの2種類しかない。
自信の無さのから来る見せかけのプライドは、お前はそうでないんだ、と、周囲を暗に陽に、呪う。
しかし、きっともう一度繰り返しても、これ以上ない子育てをしてくれた。
勉強をした経験がない親が子どもを東京の大学までやることがどれだけ大変だろうか。
挫折を親のせい家族のせいにすり替えてはいたけれど、そうはいっても、きちんと父親の責任を果たしてくれた。それだけで充分な良い父親だった。
母親は、単身赴任で放置されても、直接的には父親の悪口を子どもに聴かせなった。
見えないところで、家族を裏切り、密かな復讐はしていたけれど。あまりにも雑ではあったけれど、それでも、一通りの母親としてのアクションはこなしてくれた。
運命の激流の中で、彼らがしてくれる精一杯だったし、それだけで充分。
感謝の気持ちでいっぱいだ。
肉親といえども、ふさわしくなければ、共に居続けることは難しい。
一緒にいられなくても、感謝の気持ちは変わらない。
両親の呪いから自分を守るために、できることは成績しかなかった。
勉強ができなかった彼らは、勉強のこととなると、黙るしかなかった。
特段、刻苦勉励したということもなく、普通に授業を受ける。
成績を取らなければというプレッシャーもなければ、
褒められたいというように思ったこともない。
それでも、トップの成績を見せることは、自分を守る盾のようだった。
外側に盾を持ったまま、内側に、親からの呪いからくる臆病さを抱えながら、
進学を機に、上京した。
神さまの気持ち
神さまが人間をおもう気持ち。
その一部を体験することが人生なのかもしれないと思うことがある。
神さまが与える運命は、時として、人の好き嫌いにそのまま沿ったものではない。
選べる運命もあれば、選べない運命もある。
流れ去る運命もあれば、どこまでも深い運命もある。
僕にもいくつか、簡単に流れさらない特別な運命がある。
感謝し、愛し、救い、憎み、憎まれ、同じ過ちを繰り返して、忘却され、それでも捨ておかず、まだ深く愛し続ける。
諦念にも似た、悲しみににも似た、愛する気持ち。
きっと神さまもそういう気持ちなんじゃないかと思う。
深く運命を共にする人たちとの関係の中で、深く愛することを学んでいく。
そして、その深い運命もいつか流れ去る。
いつ終わるとも分からない関係の中で、神さまのように、深く愛する気持ちを、一瞬、感じられるような関係が結ばれる。
それが、人生のよろこびかもしれない。
あなたの記す福音書のための草稿 2
幼稚園に行くことには納得が行かなかった。
自由に過ごして、自由に母親と遊びたい。
他の子どもに自分のやりたいことを邪魔されるのも嫌だ。なぜ、幼稚園に行かなければならないのか?という問いに、納得した答えをもらえなかったからだ。
それでも、力づくで、どうしても、幼稚園に連行される。ここまで言ってもダメなら、気持ちよく前向きにいくしかあるまい。と毎日早起きして、塗り絵をして、一番乗りで幼稚園に行くことにした。
キリスト教系の幼稚園には、聖母マリア像が祀られている。フランス系の神父が行事の時に聖水をかけてくれたり、聖黙を護らなければいけない洞窟?のよう場所があったり、福音書の劇を演じたり、讃美歌を歌ったり。キリスト教の雰囲気の中で、幼少期を過ごせたことは幸福だった。
父親は、単身赴任で家には行かなかったが、帰ってきた時に楽しい思い出はあまり無い。
癇癪持ちで、子どもの扱いが下手で、タバコのにおいがする父親は、楽しい遊び相手ではなかった。いつも一緒に遊んでくれる母親がいれば充分だった。
あなたの記す福音書のための草稿1
なぜ自分はこんなみにくいところに居るんだろうか?
夜泣きが止まない僕は父親に抱かれて、家の前の崖から、街を見下ろす。「何か」を求めて泣いている。それが何かは自分にも分からない。
それが僕の一番古い記憶の一つだ。
工業都市の山の上に僕の家はあった。
家からは街が一望できる。地方ではあるけれど美しい自然も無い。文明の辺境。なぜ自分がこんなところにいるのか?夜になると悲しくなる。
街の夜景の中唯一キラキラと光ってみえたものが、歩けるくらいに大きくなって、パチンコ屋なんだと分かったときはがっかりした。
ここではない何かを求めていることは分かるけれど、僕には泣くことしかできなかった。